ハジケ。

体に栄養を、心に刺激を。

お金のはなし

前回、就職先を決定したような口ぶりで語っていたけれど、実はいまだに悩んでいる。なんとなくここではないような気がしていて、かといってもうスーツを着ることもしていない。ある日ふと、誰かからしかるべき就職先を与えられるような気がしているのが本当に甘えたで何も変わっていないことに愕然とする。

4月5月の手帳を見返してみると、本当に就活生か?と思いたくなるほどスッカスカで、しかもひとつひとつの企業について調べることもろくにしていなかった。むしろ、この状況で一つ内定をもらえていることに驚きだ。感謝しかない。

そう思う一方で、いまいち納得していない自分がいるのも事実……。かといってやりたいことも今は見つからず、仕事をしながら探していこうという考えもある。

あーあ、めんどくさいしくそみたいな人間だな。プライドだけぐんぐん育ちやがって。

 

さて、現状と自己嫌悪はここまでにして。

今日はお金について思うところがあったので、残しておきたい。

 

先日、高級肉を食べる会をしたときに、ぴえこが「結婚相手は年収の高い人がいい」と言っていた。正直なところ、私は年収で相手を決めるようなことにはあまり賛成しない。けれど、その理由を聞いてみると、

「昔、家にお金がなくて大変だったから」

と言っていた。

 

思い返してみると、私は生まれてから今まで、お金で困ったことがない。非常に恵まれた家庭に生まれたおかげで、お金を理由に何かを諦めたことも、人が争う姿を見たこともない。

私にとって当たり前にあったものだからこそ、私はお金の「本当の価値」を知らないんじゃないだろうか。

お金がなければ生きていけない。お金があるからこそ余裕をもって暮らしていける。

知識としては知っていても、圧倒的な体験不足だ。

 

私が生きている今は、すべて親の援助によってできている。私が大学まで通えているのも、一人暮らしの部屋で悶々と悩めているのも、鞄、化粧品、バイトに行く余裕、旅行を楽しむじかん、健康な体。

そのすべてが両親が与えてくれたものだ。

かなう気がしない。

 

今まで、両親に対して「感謝のことば」は時折述べてきた。

母の日、父の日、卒業式……。だけど、私を構成するものは私にとって当たり前にありすぎて、その実感、本当の感謝は多分いままで一度もしたことがない。

 他人に感謝して生きること。

この当たり前のことが全然できていない未熟な人間だ。

正直、就活で頑張れなかったこと、納得できる内定をもらえなかったことはいまだに苦しいし、出来るならば去年の今頃に戻りたい気持ちでいっぱいだけれど、こんなふうに社会のことやお金のこと、両親のこと、家族のことにしっかりと向き合い始めるきっかけとなったという意味では、この時間は無駄じゃなかったんだと思う。

 

私のあたりまえを支えてきたお金は、お父さん、お母さんが毎日働いて稼いできてくれたからこそあるもので、私がやりたいことをやれていたのは素敵な家族に恵まれたから。最高の環境を提供されていたから。頭が上がらない。もっと、恩返しをしていきたい。

 

私が来年入社する会社は、給料はあまりよくない。

この給料という項目にあまりマイナスイメージを持たずにいれるのも、きっと両親のおかげだろう。

どんな会社に入ったとしても、初任給でみんなにおすしを食べさせてあげたい。いつもは食べさせてもらう側だったけれど、少しずつ私も何か与えられるようになっていきたい。