ハジケ。

体に栄養を、心に刺激を。

新社会人

 

こんにちは、新社会人のはこむです。

この度、無事に入社式を終え、卒業式(式自体はコロナウイルスの影響で無くなったので、袴を着ただけですが)を終え、立派に社会人になりました。

ここの順序可笑しくないか、って未だに思ってしまいますが、社会人、やってみると意外とそんなに変わらないです。

勿論、朝早く起きて、慣れない車に乗って出勤するのは大変ですが、だからといって精神的に何が変わるわけでもない。最近は早起きにも慣れてきて、11時を過ぎると自然と眠たくなってくるようになりました。圧倒的健康。

 

とはいっても、まだぬるぬるの研修期間だからだろうなあ。

本社でひたすら座学を受ける日々。これは学校と大して変わらないです。お尻が痛くなるのと、途中で寝そうになるのを必死にこらえるといった感じ。先日はうっかり10分ほど寝てしまい、同期全員にバレました。お恥ずかしい。

でも、今日美容院でも寝ちゃったから、私は椅子に座ると寝ちゃうという習性なんだと思います。ダメですね。

 

実際に配属先が決定して、実務に移るとやっぱり大変なことだらけなんだろうな。

取引先もいるし、お客さんもいるし、自分だけで完結できないからこそ、相手と折り合いをつけるために奔走するんだと思います。

 

 

実は、卒業式の日、軽く凹んでいました。

というのも、研修が始まって弊社の就業規則や給与詳細なんかを学んだところ、入社前から覚悟はしていたのですが同年代の平均よりも少し届かないくらいの給与だということが眼前に突き付けられたから。なんとなくは覚悟していても、やっぱり数字にして目の前に差し出されると、ちょっとくるものがありました。

今までの人生、ありがたいことに何をするにも平均以上の成果はあげてきました。それはよい教育を受けさせてくれた両親のおかげだし、懸命に指導してくれた先生たちのおかげ。だからこそ、そういった成果を上げてきた道の先が、平均以下の給与という結果なのかと思うと受け止めきれないような気持ちになって、自分は来る会社を間違えたと何度も思いました。

仕事終わりに最終便の電車に飛び乗って、大学の近くのホテルに泊まって。その柔らかなベッドの中で、こっそりシーツを濡らしていました。母は見ないふりをしてくれました。

 

けれど、先日の研修で、何度も「○○のために」という言葉が繰り返されていることに気づきました。

それは弊社のサービスを受けるお客さんであり、私の仕事相手であり、めぐりめぐって自分のためでした。

またしても、私は視野がどんどん狭まっていて、自分のことしか考えられていなかった。就活の時に痛感したことではありましたが、気を抜くとすぐにこれです。

たしかに、給料、休日などなどの労働条件は私の理想としていたものではなかった。だけど、研修で流されたビデオに登場したエピソードにこっそりと涙を流していたのは事実です。

やっぱり私は、弊社の理念や在り方には魅力を感じているのだと、その心を偽る必要はないのだと再確認できました。

それは画一化された「年収の高さ=いい人生」といった価値観よりも、私が幸せに生きるために大切にするべきことなのかもしれません。

まだまだ何もわかりませんが。

 

 

仕事は不安です。人生も不安です。

だけど、とりあえずは目の前のことを頑張ってみようかと思います。

頑張った後に、まだ何かしこりがあるようなら、それはその時に考える。

そんな感じで社会人一年目、手探りでやってみます。

 

もういちどうまれる

3月22日。

今日寝てしまうと、明日には私はもう社会人になっている。摩訶不思議な社会人。今まで一度もなったことのない人種。

 

正直なところ、よくわからない気分だ。

社会人になりたいとは思わない。けれど、この学生を引き延ばした生活をずっと続けるのは無理だとも思う。世間体とか関係なしに、変わらない日々を過ごし続けるのは、それはそれで難しいことだと感じるから。

 

会社の雰囲気とか、はじめの研修とか、意外となんとかなるんじゃないかと思う要素もあったりして、でも毎朝早く起きることに辟易したりして。今更、労働条件のさほどよくない会社に入ることに対する不安が振り返してきたり、もうひたすら情緒不安定だ。

 

でも、社会人になるからと言って劇的な1日を過ごしたわけじゃなかった。

髪を染めて、友達とゲームして、借りた漫画を読み耽って。そうしているうちに夜が更けた。

私は大して変わらないんだなということに、なんだか救われる。

 

私は私のまんま、社会人としてもういちどうまれる。初めてすることだらけだから、自分に期待しすぎないように、覚えるための努力を怠らないように。とりあえずはそれだけ頑張ろう。

 

ああ、モラトリアムが終わる。

上がり始めた第二部の幕にしがみついていたい気持ちが拭い去れないけれど、それでも人生は進むんだなあ。

 

いい加減大人にならないと。

いつまでも甘えているだけじゃだめだ。

やっぱりどうしてバタバタ旅行In伊勢

前々から行ってみたかった伊勢神宮

社会人デビューまで1ヶ月を切った今、まありと一緒に訪れてみることに。

 

7時半ごろに集合して、伊勢まで運んでくれる急行に乗る。…はずが、満員電車の圧力に気圧され、どうしても乘らなくてはいけなかった列車に乗れず遅れてしまった。

 

結果、無事にのれた真愛を梅田で待たせて、更になるはずだった電車よりも千円高い特急に乗ることになってしまった。

ほんとめちゃくちゃ申し訳ないし、もっと時間に余裕を持たせるようにしなくっちゃ。こんなの私だったら絶対ムス、ってしちゃうのに真愛は特急のお金も払おうとしてくれるし、めちゃくちゃやさしい。すごい。尊敬する。

でも申し訳なさすぎるので私が払っておいた…流石に。

 

特急はすごい優雅で、まったりと朝ごはんを食べながら向かうことに。充電器もあるし、なんなら特急で良かったかも。

 

あっという間に朝まで到着して、まずは外宮からお参りする。伊勢市駅から少し歩いたところに鳥居が見えてきて、緑をかき分けて入っていく。

 

境内は神聖な雰囲気に満ちていて、空気すら外とは違うような気がする。豊かな自然の中には、鮮やかな橙がぶら下がっているものもあって、これって摘み取ったら怒られるんだろうか、と罰当たりなことを考えてみたり。

 

本宮は門構えが本当に立派で、シンプルな木の色が基調になっているのに上品な雰囲気が漂っていた。お参りをする場所の奥は写真撮影が禁止されていて、更に続いていく門だけが覗き見れた。門の前には石でできた線が引かれていて、神様の世界との線引きがされているのかも、なんて思う。

 

近くには小さな小屋もあって、和服に身を包んだ神主さんがいた。何かの儀式をしているようで、黒い正装姿の人たちが厳かな様子だったのが印象深い。神主さんになる人って、どういう過去があってそうなったんだろう。全然わからない世界だなあ。

 

さて、お参りも済んだので、次は内宮の参拝に移ろうとバスに乗る。バスを降りると、真っ先に目に入ったのは牡蠣を焼いているおじさんの姿。もうすっかり昼だったのもあって、誘われるようにふらふらとおかげ横丁に入っていく。

 

通りの両方に美味しそうな店舗がずらり。松坂牛のステーキ、カキフライ、フルーツジュース、赤福…。木造の建物が連なるレトロな風情漂う通りを、食欲に支配されて何を食べようと腹を鳴らしながら歩き回る。

全然決めきれなくて困っていたら、バスの中で調べていたレストランが見えてきた。

 

レストラン「はいからさん」。

文明開化の時代を模した可愛いレストランで、店員さんもレトロなフリフリワンピースを着ていた。最高のレストラン。

ここで食べた「松坂牛のステーキライス」が本当に美味しかった!

トイレもやたら綺麗でテンション爆上げ。

 

お腹を満たしたのに、美味しいもの見ると食べたくなっちゃう。どうも、パブロフの犬です。

おかげ横丁を練り歩きながら、あれ食べる、これ食べると言いながら内宮を目指して歩く。端まで歩いたところで気づいた。

「これ、内宮逆じゃね?」

その時点で時刻は既に2時ごろ。食べたいものはいっぱい。

参拝よりも食欲が勝ってしまったので、今日はもう横丁歩きに徹することに。また明日来ればいいさ〜。

 

まずは赤福

220円で、二つと煎茶が頂けるのは安すぎる。やっぱり炊きたてだから以前食べたお土産の赤福よりもお餅の伸びが良くて、舌触りも上品。するっと馴染む餡子のしつこくない甘さも最高。

川辺の席に座れて、心地よい春風を感じられたのもよかったなあ。

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なんだかとてもしあわせそう。

 

お次に、目をつけていたプリン…と思ったら売り切れててめっちゃショック。絶対明日リベンジする、と硬い決意をした。

 

ないものはしょうがないので、次に行きます。お次は「豚捨」。ここで一番人気のコロッケを買って食べ歩く。

これがほんとにおいしかった!サクサクした衣がすごく歯応えがあって、でも分厚すぎずモサモサした食感もない。中のジャガイモは熱くて食べられないほどホクホクで、飲み込むとじんわりと食道が温まる感じがする。

しあわせだ〜〜〜〜!

 

しあわせは続くもので、お次は醤油屋さんの焼き伊勢うどんが美味しそうすぎると話題に。目の前で焼いてくれるんだけど、鉄板で熱された醤油の香りが香ばしいのなんのって。

ホテルで食べることにしたんだけど、まだ3時前くらいだったから、4時前にもありますか…と確認して、ギリギリまで出来立てにしようと画策。

予約だけして食べ歩きに戻る。

 

そんな食べてばかりの私達の前に現れたのが、めちゃめちゃお洒落な藍染のお店。本革の財布や名刺入れなんかが、手染めで藍に浸ってる。すごく可愛くて見入っちゃったんだけど、さくっと買えるような値段じゃなかったから断念。経済力が欲しい。

 

最後に駄目押しとばかりにだんご屋で「黒蜜団子」を買ったり、豆腐屋さんで豆腐ドーナツを買ったり。

 

そして焼き伊勢うどんを買いに行くと、予約してたお姉さんが「3時半ごろって言ってたから焼いておきましたよ〜」って言ってくれて愛しかなかった。だいすき。そういうのだいすき。

 

ホクホクで買って帰り道を歩いていると、売り切れていたプリン屋さんが空いてる…!覗いてみると、プリントーストだけやっているとこのと。そんなの買うしかないやん。

持ち帰りで買ってホテルで食べようと思ったら、アイスが付いていたので慌ててその場で食べることに。カスタードしみしみでまったりとした舌触り。おいしすぎる。

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卒論提出と口頭試問と

 

大学4年間の学問を締めくくる卒業論文

文学部に所属する私もこの一年間ソイツと戦ってきたわけですが、昨日ようやくその重しを下ろすことができたので、一生に一度しか経験できない卒業論文について備忘録を残しておこうと思う。

 

率直な感想としては、「こんなもんか」といったところ。

皆がいうほど大変ではなかったし、あまり頭を悩ませることもなかった。

提出し終えるまでは。

 

テーマ自体は3年の終わりには決めていたし、あとはテーマに沿って基盤となるべき先行研究を調べて、データを収集して分析を行っていけばなんとかなる。そういう見通しがサクッと経っていたからあまり焦ることもなかった。順調にコツコツ作業をこなしていったかんじかな。

ただ、余裕を持って取り組んでいた割には、「いい論文になった」とは正直言い難い。

 

反省点がいくつもある。

①先行研究に対して真摯に向き合えていなかったこと

②テーマに対して「どうしても明らかにしたい」という気迫がなかったこと

③研究の前提や考察についての思慮が浅かったこと

ざっとまとめるとこんなところ。これだけでもウウウと胸を押さえたくなる心地がするけれど、こんな機会はそうそうないので経験を蓄積しておこう。

 

自分と向き合う記録として、1つ1つを言語化していく。

 

 

①先行研究に対して真摯に向き合えていなかったこと

これが私の卒論における最大の反省点。自分の論文を裏付ける証拠としても、どうして自分がテーマに興味を持ったか、どこに疑問を感じたのかを明確にするためにも押さえておくべき先行研究。そうでなければ、自分の研究に何の意味があったのかを端的示すことができない。研究の歴史を上から並べて、引いた矢印の一番下に自分の論文を位置づける必要がある。ここまではわかっている、ここがわからなかったので本論文にて明らかにする、というように。

 

しかし、私は先行研究をしっかりと読むことができていなかった。「読んだ内容を理解・吟味して自分なりの言葉でまとめて説明する」。これが一番大切だったはずなのに、先行研究をまとめた文献からのことばをほとんどそのまま利用してしまっていた。

疑問を解明するために「既に明らかにされたこと」を理解し、自分の中へ取り込む。

きっと、これが卒論で一番学ぶべき姿勢だったんだと思う。生活に仕事の中で、自分で改善点や疑問点を見つけ出し、その解決の為に適切に知識を身につける。今後、一生活かせるであろう真摯な姿勢。私はそこを手を抜き、サボってしまっていた。これでは、引いてきた事実が本当に正しいのかを自分で考えないまま、人の受け売りの知識を偉そうな顔で語る愚かな人間になってしまいそうだ。

折角の貴重な機会を活かしきれなかったことが本当に悔しい。ただ、同時に「できなかった」と認識できているということには少しの安堵を感じる。私も、手を抜いてしまった部分もあったけれど、自分なりに卒論と向き合った証拠だと思うから。

 

②テーマに対して「どうしても明らかにしたい」という気迫がなかったこと

なんというか、これは”私”全般に言えることかもしれない。

何をやるにしても、全身全霊で取り組んだことがないような気がする。「絶対」これを達成する!「どうしても」あれがほしい!こういう、燃えるような原動力が基本的に欠けている感じ。

受験でも就活でも、「絶対にここに入る」という強い意志を持ったことがない。「ここがいいなあ」「こうなったらいいなあ」というゆるゆるとした願望だけをもっていて、腹を括るとか覚悟を決めるとかが苦手過ぎる。これはきっと、緩く楽しく生きてゆきたいというポリシーには合っているんだろうけど、たまには命を燃やすような瞬間があってもいいんじゃないか。そんな人は格好いいと思う。

 

閑話休題

卒論のテーマについて、「これはいったいどういうことだろう」と常識に疑問を投げかけることができたことはよかったと思う。ただ、テーマを設定した時点での、ここまでを明らかにしようという目標が漠然とし過ぎていた。漠然としていたからこそ、「まあある程度の結果は見えたし、これでいっか」と思ってしまい、ゆる~く卒論終了。

もっと知りたいことに対して、ああでもないこうでもないと試行錯誤していた方が、ずっと有意義な経験に昇華させることができたんじゃないだろうか。ある程度の結果が出ても、「ほかにも方法はないか」と思考を続けることが大切だったんだと思う。

 

③研究の前提や考察についての思慮が浅かったこと

別々に書いてはいるけれど、これは①②の結果招いてしまった反省点だと思う。

テーマを設定した時点で、先行研究についてもっと深く調べていれば、いまだに解明されていない新たな不思議について出会い、具体的な目標設定ができていたかもしれない。今回はそれがおろそかになってしまっていたからこそ、研究の土台もしっかりしないままだったし、考察もどこまでで一旦の目標達成・論文での結論にするべきかがはっきりしないままで、解像度の低い考察しかできなかったように思う。

 

 

いろいろと反省点の多い卒業論文だったけれど、この3つをまとめるとしたら、

「物事について解決策、見解を探るためには、既にわかっていることを十分に身につけたうえで、明解な目標設定をしておく必要がある」

ということだろうか。

まさに、はじまりが一番肝心であるということを痛感した卒論だった。卒論はこれきりだけれど、この学びは大きいと思う。例えば、業務内容を改善しよう!となったときでも、「業務の意義」「現在の手順」「問題点」をしっかりと把握したうえで、「○○の手順を効率化し、5分の短縮を図る」などの目標を設定して取り組む、といったように仕事にも生かせそうな基礎的なことだからだ。4年間で学んだことを大切にしていきたいものだ。

 

 

 

さて、ひとしきり反省もしたことだし、卒論をめぐっての思い出を軽くさらっておこう。

 

題材がテレビ番組だったのにもかかわらず、結局録画機能のないテレビを買い替えなかったせいで、わざわざ姉や友人の家で録画をしてもらったこと。

家では全く集中ができなかったので、友人とコメダ珈琲でぼそぼそ言いながら卒論をしていたこと。

全く卒論がかけないと泣いていた友人に深夜に大丈夫?の電話をしたこと。

まともに見返してもいないのに終わった気になって、悠々と冬コミに参戦したこと。

提出する前に交換して見返そう、と友人とチェックしあうとボロボロのところが山ほど出てきて、風呂も食事もせずに徹夜で必死に修正したこと。

提出直前に目次の印刷がうまくいかないことに気づいて、研究室で泣きそうになっていたら関わったこともない先輩や同期が助けてくれたこと。

教務にもらった卒論のタイトルが間違ったままになっていて、受け取ってもらえないんじゃないかと肝を冷やしたこと。

留年するのかと思っていた友人が五分前に研究室を飛び出して提出しに行ったこと。

提出した後に読み返していると参考文献の文章と似すぎている個所があって、剽窃といわれるんじゃないかと思い、卒業できないと絶望したこと。

中間発表でめちゃめちゃこわかった先生二人が副査に当たり、口頭試問を死ぬほど怖がっていたこと。

実際に行ってみると教授は敵ではなく、卒論へのアドバイスを和やかに言ってもらえて20分なんてあっという間だったこと。

 

 

卒論関係だけで、こころを忙しくしていたことがこんなにあったなんて。

月並みな表現だけれど、終わってしまえばすべてがいい思い出。だからこそもっと頑張ればよかったな、なんて思ってしまうんだろうな。

 

教授が送別会でくれた、「考える土台を作った段階です。まだまだずっと考え続けてください」という言葉。私は普段、脳みそをぐるぐる回すことが少ないからこそ、この言葉を大切にしていきたい。

 

考え続けよう、人生は続くんだから。

 

 

”馬鹿”たのしい仙台旅行

今まで行ったことのなかった東北に、いざ尋常に。

ということで、卒論を提出し終わった1月17日。のがみんと二人で宮城県仙台市を旅行することにした。

 

旅行に行こうということだけ決めていたけれど、行先さえなかなか決めずに卒論に追われていた私たち。出発の5日前に電話で「東北どうよ?」「仙台」「ありー」みたいに、やっと決めてその場で飛行機とホテルを抑えた。腰を上げるのは重いくせに、やたらと軽いフットワーク。

 

ほんとに行くのかな?とか思いながら、当日を迎える。

 

1月17日。朝3時45分。

起きなきゃ起きなきゃと思うと、眠りは浅くなるもの。のがみんからのモーニングコールを受けて起床。寝たような気もしないまま荷物をまとめて家を出る。外はまだまだ夜で、こんな時間に動き出しているのが既に非日常。なんだか深夜徘徊をしているような気分で駅に行くと、ばっちり身だしなみを整えたのがみんがいた。

あ、そうか。今から旅行に行くのか。

いまいち心地がつかないまま、電車に揺られて関西空港へ。のがみんはキャリーを引いているし、空港リムジンバスに乗っているし、どうやら本当に遠出するらしい。

 

早起きしたから眠いんだけれど、外が夜なせいで一睡もしていないような気もしてくる。瞼を下げる代わりに口を動かして、しょうもないことをぺちゃくちゃと語り続けた。

今回の旅で私たちのブームだったのは、「あるあるネタ」かなあ。あ~、あるある。みたいなかんじではなくて、いや当たり前やん、みたいなかんじ。

クリーンヒットしたのは「時あるある」「経つ」。短く本質をまとめるのが吉。

「夜あるある 明ける」もなかなか詩的でよかった。

 

7時30分離陸の飛行機に乗る前に、軽く朝食を食べて一服。早起きするたびに思うけれど、朝って意外と長いんだなあ。セブンの辛子明太子おにぎりはあごだしが効いていておいしいです。

 

搭乗を済ませてふう、と安堵していると、右隣りにまさかの坂井ちゃん。サークルに行かなくなってから全くあっていなかったのに、なぜか仙台行きの飛行機でばったり出会うとは。驚きすぎたのととても微妙な関係だったのもあって、わざわざ声はかけなかったけれど、世間の狭さを痛感。

 

さて、機内ではのがみん節が炸裂です。

開口一番、「ガソリンと黄色はどっちが強い?」と始まって、「黄色は風水としてもいい」「オイルショックになる暗い影響がある」と屁理屈大会が繰り広げられた。

続いて、「生活にいるモノランキング」で戦おうとしたんだけど、一度考え始めると意外と深くてずっと話し込んでしまった。本当は音楽とかメイクとか嗜好品の域のものを競わせるつもりだったのに、「いや五感もいるんじゃない?」「まず水でしょ」と本質の話が始まってしまった。

結局、

1位 生命

2位 水

3位 空気

4位 視覚

5位 米

……みたいなランキングになってしまい、いや誰だってそうだろみたいな結論に。でも、私たちが生活に必要だと思っていたものが意外といらないのでは?とか、こんなにいっぱいのものが最低限の生活に含まれているなんて恵まれているなあ、とかやたら道徳的な学びを得てしまった。

あと、数字ではどれが一番強いかとかも競ったんだけど、なかなか楽しかった。「0」が隠しボスなのは同意しかない。

 

そんなことを話していると、仙台までの2時間なんてあっという間なわけで。

到着です。

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仙台国際空港

気候に恵まれたおかげか、あまり寒さを感じることもなく快適な到着でした。ただ、空港を出て歩いていると、やっぱり空気の冷たさとか透明具合には雪国らしさを感じた。私としては地元に近い空気感で安心するような感じ。

 

早速仙台駅に移動して、ホテルに荷物を置きに行く。駅前5分くらいで、フロントも綺麗で一晩4000円くらいのわりにすごくいいホテルだった。

 

一日目の予定としては、日本三景・松島の観光なので、さっさと電車に乗って松島海岸駅まで行ってしまいました。仙台駅から直通で40分くらいだから、観光地のわりにはアクセスがいい。

駅を降りてしばらく歩くと、海岸に出た。晴れ渡る青空と、太陽の光を反射する水面。そこにふらふらと浮く漁船。眩しさに細める目と、水気を含んだ風が頬を撫でていく感覚が心地よかった。ぐ、と伸びをしたくなるような感じ。

 

朝から移動が多かったせいで、11時ころにはすっかりお腹を空かせていた私たち。綺麗な景色もそこそこに、まっすぐ松島さかな市場へ。ここでの目的は牡蠣。牡蠣の食べ放題が2000円台で食べられるくらいに、牡蠣の収穫が多い松島。正直、あまり好んでは食べないくらいの好き度だったけれど、折角だしということで牡蠣がいっぱい入った定食セットを注文。

 

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これが本当に美味しくてびっくりした。牡蠣はコクがあって濃厚で、口の中に残る後味にも臭みがなくて最高。それにホタテは意味が分からないくらい大きいし、つぶ貝も「つぶ……?」と思うくらい大きくて弾力があって噛みしめるたびにうまみが溢れた。これで1700円だなんて、お得過ぎる。ごちそうさまでした。

地域の人かな、っていう作業着のおっちゃんたちがまったりしているのも、ここの牡蠣を楽しみに仕事を頑張っている人がいるのかなと思うとなんとなく嬉しくなって良かった。

 

お腹いっぱいになったところで、観光をするか、と思ったんだけれど「ずんだ揚げパン」の文字にやられてふらふら寄っていく。ヒルナンデス!で紹介されたとかデカデカと書いてあったから、それを買って二人で半分こ。揚げたてだったのか、パンの表面はカリッとしていて、噛んでいくとずんだの甘みが広がるのがよかった。

 

気を取り直して観光へ。

まずは五色堂に行くことに。

ここは透かし橋という、足元が吹き抜けになっていて海が透けて見える赤い橋が有名らしい。

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下を見ながら歩いていると、そこが不意に抜けるような気がして落ち着かない。でもこういう木造の細工は職人の心意気を感じて好きです。

橋の赤さと、鬱蒼とした林の緑がとても調和していて素敵なお堂でした。京都みたいに人もいすぎないし、ゆっくりと自分のペースで見て回れてよかった。

「人あるある 多い」だからな。

 

お土産屋さんとかを練り歩きながら、せんべい屋の試食をしまくったり、お洒落カステラの試食をしたらうますぎて買ってしまったり。いろんな商品を見ながらあれやこれやと喋りまくるのが楽しい楽しい。

 

その中でも、一番印象深かったのはこのイチゴジュース。

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宮城県産のイチゴをふんだんに使ったジュースで、私がラッシー、のがみんが牛乳を選んだ。見た目がかわいいのはもちろんなんだけど、ぐるぐる混ぜてから飲んでみると、イチゴの甘酸っぱい味がそのまま入っていて驚くほどだった。こういうイチゴジュースって、大体イチゴ風味くらいにしかイチゴの味がしないと思っているんだけど、これは本当にイチゴが詰め込まれていておいしすぎた。

 

このジュースを片手に松島湾周遊クルーズに参加したんだけど、おなかいっぱいで、心地よい光がさしていて、いい具合に揺れていて、しかも寝不足ともなると当たり前のように眠りに落ちてしまった。半分までは頑張って目をこじ開けていたんだけど、後半はもう駄目だった。

でも不思議な場所に穴が開いている孤島はミステリアスで魅力的だった。開いている部分をくぐりたいなあとか思ってた。

 

一日が長すぎてレポがなかなか終わらなくてつらい。

 

地酒をいくつか買いつつ、「芭蕉の湯」へ向かう。

つもりだったんだけど、円通院はこちらという看板を見つけてしまい、立ち寄ってみることに。予想外の見学料を払ったりしつつ、ふらふらと見て回る。

龍安寺を思わせるような砂庭があったり、心が躍る石畳が続いていたり。ほとんど人がいない静かな庭を、ああだこうだといいながら歩くのはすごくたのしかった。

入り口付近に並んでいたこけしの大群を「合唱団やん」といったのはなかなかセンスあると思う。恋みくじも引いてみたりした。結果は大吉で、おとめ座が理想とかA型は避けよとか書いてあった。普段は普通のおみくじしか引かないから新鮮。

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不意に現れた本殿は、ひそやかに灯る光が神秘的だった。階段を上ると唐突に現れるから、圧倒されるものがある。

 

気を取り直して、温泉への道に戻る。その途中で、ほぼ直角だろと思うくらいバカみたいな階段を見つけた。のがみんと顔を見合わせて、「上るか」と頷きあう。絶対のがみんならそう言ってくれると思ってた。

近づいてみると思ったよりは上りやすそうな階段で、「やっぱり階段は上るものだから」と特に用事もないのに上って降りる。降りるときに拳を差し出すと、のがみんも拳を突き出す。「じゃんけんぽんっ」の一言でグリコが始まった。私の惨敗だったけど、久しぶりにグリコができて楽しかった。やっぱり馬鹿なことを進んでやってくれる友達は最高。

 

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予想以上に長い道のりを越えて、やっと芭蕉の湯に到着。

600円でひとっ風呂浴びられるここは、数年前にできたようでまだまだ新しかった。番頭さんは落ち着いた雰囲気のお兄さんで、なかなか好ましいかんじだった。早速お風呂に入って、一服。東北の芯から冷える風を受けて歩いていたからか、風呂に入ると内側から解されていく感覚が最高だった。地域の人がリフレッシュしていく様を見るのも、この人たちの日常に溶け込んだような気がして一興だった。

 

風呂上りには先ほど買った地酒をおともに、スパイスのきいた芭蕉カレーをいただいた。私はヨーグルト酒を買ったんだけど、ヨーグルトがそのまま固まって浮いているくらいに濃厚なお酒で、ラッシーみたいな感覚で飲めて美味しかった。途中でネクターの桃を買い足して割ってみてもさっぱりしてよかった。

 

のんびりしまくったせいで、芭蕉の湯を後にする頃にはすっかり日も暮れていた。空を見上げると大阪では見えないくらい星が近くてはっきりと輝いていた。道路に寝転がって見上げたいくらいには素敵な空だった。

 

一日動きまくったせいでほとんど寝ながら仙台のホテルに帰って、でも馬鹿なので買っておいたカステラを食べてわいわいと騒ぐ。のがみんのオススメ「匿名ラジオ」を楽しみながら、甘すぎなくておいしいカステラをぱくり。

 

あ~~~~~一日ってなげえ~~~~~!今日最高過ぎた!!

 

と思いながらベッドにもぐりこんだのでした。

 

 

 

そして二日目、1月18日。

この日は仙台市を満喫する予定。

朝6時に起きて、魚介類を中心に新鮮な食料品を取り扱う朝市に向かうことにした。昨日疲れ果ててさっさと寝たおかげか、すっきりと起きることができた。

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まだ動き出したばかりの朝市。

眠たそうな顔でばたばたと動き回る人からエネルギーをもらった。いつもは寝こけているこの時間に、働き始める人がいることに尊敬するしかない。

 

早速海鮮丼をいただこうかと思ったんだけど、雑誌に書いてあった時間よりも30分回転が遅くなっていたようで、目的のお店はまだやっていなかった。

ホテルから10分くらいだし、一眼レフを忘れたこともあって一旦ホテルに戻って、もう一度訪れると丁度良い時間になった。

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これが、狙っていた”しょう家”の朝市丼。

たった500円で新鮮な魚がたっぷりのった海鮮丼が楽しめた。でも一番美味しかったのは味噌汁。こういう市場で頂く味噌汁はどうしてあんなに美味しいんだろう。風を浴びて体は冷たくなっているからかな。

朝から良いものをいただきました。

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ついでに、向かいの揚げ物屋さんの「じゃがじゃがころっけ」もいただくことに。へなへなな手書き文字で書いてあるのがツボで、つい買ってしまった。これが予想以上にほくほくでとってもおいしかった。あとお兄さんが眠そうな顔をしているのがよかったです。応援したくなる。

心残りは100円の焼き芋を食べられなかったこと。焼き時間が足りなかったみたいで、私たちがいる時間には完成しなかった。

 

ぐるぐると朝市をめぐって堪能した後、仙台市の観光を始める。

まずは仙台駅のずんだ小径に行ってみることに。名前の通り、ずんだを取り扱うお店がいくつも軒を連ねていて、緑一色の通りだった。そこでずんだシェイクを買って飲んでみる。豆乳で割ったものにしたんだけど、ずんだは控えめですごく飲みやすかった。

 

ここで意外だったのは、近くにあったケーキ屋さんのテナントの「タルトお試しセット」を思わず買ってしまったこと。5つ入って1000円という、えげつないほどの値段。ホテルも近いし……、と買ってしまって一度冷蔵庫に置きに戻るという、予定ガン無視の自由行動。ホテルが近くてよかった。

 

そしてようやく10時30分ごろに仙台市の観光にとりかかった。

今回利用したのは、周遊バス「るーぷる仙台」。見た目がレトロで可愛いし、主要な観光地へはしっかりと回ってくれる。一日券が630円となかなかお得。

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木製のかわいい車内にテンションを上げながら、最初に降り立ったのは瑞鳳殿

伊達政宗が葬られている場所ということで、安土桃山文化の豪華絢爛な雰囲気を色濃く残していた。杖を片手に長い階段をのぼりながら本殿を目指して歩いた。つもりだったんだけど、いつの間にか変な道に入っていたようで、私たちがいつもなぜかしてしまう逆走を今回もしていた。

何でや……と唖然としながらも、気を取り直して本殿に入る。

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美しい建物を歴史とともに味わいながら、やっぱり地方の観光地のいいところは人が少なくて見やすいところだなあとしみじみ。なんか伊達政宗が亡くなった時に、ともに殉死することを選んだ兵士がいるらしいんだけど、その兵士につかえていた人もほぼ強制的に殉死する必要があったらしい。そんなんつかえていた人的には「え、俺も!?」って寝耳に水だったんだろうなとか考えてみた。

 

十分楽しんだので、バスで次の目的地へ。

本当は博物館にも足を運びたかったんだけど、残念なことに市立博物館も県立博物館も改修中で見ることができなかった。こんなことある?

 

ということで、次は大崎八幡宮

人里離れた地で静けさの漂う境内を見て回る。しっかり御朱印も頂いて、参拝。のがみんは今年初詣をしていなかったようなので、ここが初詣かな。いや、駆けあがった階段のところの神社かもしれないけれど。

 

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羽生結弦選手の縁の地だとかで、絵馬にもそのことが書いてあるのが多かった。あとは「コンサート行けますように」とか芸能関係の願い事が多かった印象。なぞだ。

とりあえず、来年から社会人になることと、愉快で楽しく生きていけるように見守ってほしいということをお伝えしてきた。

 

観光もだいぶ済ませたところで、お昼ご飯。

ついに待ちに待った牛タンを食すときがきた。どこで食べるか迷いに迷ったんだけど、お値段も考慮して「旨味 太助」というところにしました。

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Aランチ。牛タン4枚で1700円。

一枚一枚が予想以上に分厚くて大きい。噛み切れないほど歯ごたえがあって、顎が鍛えられた。炭火で焼いた匂いも相まって本当に美味しくてごはんが進む進む。驚いたのはセットでついてきたテールスープの美味しさ。牛タンとは打って変わって柔らかく溶けていくような、お肉の味が溶けだしたスープ。塩味の強いお肉に合うようにネギがいっぱい入っていて最高の組み合わせだった。

余談だけど、隣の席に座っていた大学生4人組っぽい集団の会話、くそつまんなかった。「昨日どうだった?」とか死ぬほど話すことない奴らの会話やん。なんで4人で旅行に来たんだ?

ライブ開くならどんなグッズ販売する?とか言ってる私たちの方が100倍面白いでしょ。

なんとなく女遊びしてそうな男がいっぱい働いていたのが印象的なこのお店。とても美味しかったです。ごちそうさまでした。

 

仙台市、最後の観光地は仙台メディアテーク

ギャラリーと図書館を兼ねた文化施設なんだけど、建築デザインが好み過ぎた。近代的なんだけど、階段の端々に文字がかかれていたり遊び心満載。

ここで偶然やっていた小中高生の書道・ポスターコンクールを、その場の誰よりも真剣に見た。みんな字が綺麗すぎて意味が分からない。あと、最近の子供の名前って、本当にキラキラネームなんだって痛感した。クレアとかニコとか、フィクション作品だけじゃないんですか……?みたいな名前が当たり前に飾ってあった。それに違和感を抱いてしまう自分がいたんだけど、そんな自分の方が好きなのでいいです。

 

それから図書館スペースに移動して、やってみたいと思っていた「行かない旅行の予定を立てる」をすることに。舞台は適当に選んだエジプト。行かなそうだし。

行かないのでなんでもありだね、ってことで期間は半年。忘れ物をしたら日本に帰ってきてお寿司を食べることにした。アラビア語をマスターするとか、ナイル川でピラニアと泳ぐとか、水タバコを吸ってみるとか。なんでもできるのでなんだってしてやる。

架空の話をするのが楽しすぎて、静かな図書館で盛り上がってしまった。

 

さて、観光を満喫したところで、次はごはん。

私たっての希望で、あなご専門店菅井に行ってみることにした。珍しく日本酒を飲んでみようということで日高屋という銘柄を頼んでみたんだけど、これがさっぱりとした後味でマイルドで飲みやすかった。あとあなごに合う。

いつもは食べない、あなごの刺身に、あなごと揚げ出し豆腐に挑戦。揚げたり蒸したりすると、ふわふわ感やもちもち感が引き立つのに反して、そのまま刺身で食べると弾力があって噛むほどにあなごの風味を感じるみたい。この食べ方も美味しかった。

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でもやっぱり一番は一本寿司(1200円)。

専門店だけあってとっても上品なたれで、ふわっふわな身とよく合う。口の中に入れるとほろほろと崩れていく感覚が何とも言えない。やっぱりあなごはおいしいと再確認した。このお寿司にはのがみんもびっくりしてて、アナゴニストの私としては鼻高々。

 

意味わからんほどに贅沢なことに、この日はホテルに帰るとタルトの詰め合わせが私たちを出迎えてくれた。5つで1000円という激安だったのに、1つ1つ本当に美味しくて、特にカヌレの生地のしっとり感は百貨店のものと遜色なかった。あと、チョコタルトもチョコがすごく濃厚で味わい深かった。

 

テンションが上がりすぎたせいで、ベッドの上で飛び跳ねたり、クッションを頭の上に積み上げたり、床ででんぐり返しをしたりしてしまった。

スカートでベッドの上をごろごろしていた時は「パンツ見えるやん」といわれてしまったので、こちらから全開にして「パンツでーす」と言ってやった。ら、酒の入っているのがみん大爆笑。こんなに笑ってもらえると気分がいいです。

落ち着いて風呂から上がると、扉を開けた途端にブラシを構えたのがみんが特攻してきてびっくりした。ので、私はのがみんが上がった瞬間にティッシュを紙吹雪みたいにまき散らして祝ってやった。

 

 

 

馬鹿旅行の三日目、最終日1月19日。

この日は特に予定も立てなかったのでゆっくりと起床。匿名ラジオを聴きながらのんびりと準備をして、荷物をもってホテルをチェックアウト。

朝ごはんに、ずんだ茶寮に行ってずんだ餅を食べる。このずんだ餅が予想の5倍くらい美味しかった。スムージーとかよりもよっぽどずんだと餅が合う。甘すぎないのもよかった。

 

食べ終わったら空港行きの電車に乗って、さっさと移動してしまうことにした。お土産屋さんを練り歩いて、試食があるたびに食べていたせいで、かまぼこで結構お腹がいっぱいになった。

最後、牛タンまんじゅうを半分こして、仙台の食事は終了。

飛行機を模した展示とかで時間をつぶして、飛行機の搭乗時間を迎えた。

さようなら仙台、という感慨を持つ間もなくあっという間に関空についてしまった。意外と近いな仙台。

 

 

1日1日が本当に長くて濃かったのに、いざ終わってみるとあっという間な旅行だった。ずっとバカみたいな話をしていたせいか、こうやって書き起こそうとしても何から書くべきか全然わからない。ただわかるのは、架空の話で盛り上がれる友人とは何をしていても楽しいということかな。最高の仙台旅行だった。

 

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何度もお世話になったJR仙台駅。

構内も綺麗だし、行きたいお店は大体揃っているし、人は多すぎないしで本当に丁度いい街だった。結婚するなら仙台。ずんだも好きだし、牛タンも愛してるのでまた行きます。

 

年の始まりに新しい風が吹く

新年、明けましておめでとう。

2020年始まりました。

 

学生から社会人に変わる年。始まる前から激動であるのが確定している年ですが、自分なりにこの変化を楽しんでいきたいところです。

 

2019年から2020年へと移り変わる瞬間、今年はいつもと違うことに挑戦した。

2019年12月30日 東京へ。高校時代のバカどもと合流して何の益体もない話に興じる。

そして12月31日。いつもなら富山で家族とゆったりまったり餅を食べたりしている日に、人生で初めてコミックマーケットに参戦した。

 

オタクの聖域、所謂コミケである。前々から行ってみたいと思いつつも、東京という地にあることや始発ダッシュなどのオタクの尋常ではない熱量に気圧されて躊躇していた。しかし、来年からは就職して好き勝手に使える時間も変わってくるわけで。行かなかったことを後悔するよりもとりあえず行ってみることが大切だと思って踏み込んでみた。

 

ずっと前からTwitterで追っかけをやっていたはしゃさんと直接会うことが出来たり、某有名YouTuberゆゆうたを垣間見れたり、創作活動が好きな人間がこの世にこんなにいるんだと思うと、とっても楽しい世の中だと思えた。

実際にお会いしてから、はしゃさんの旅行記を読んでいると紙面の上ではしゃさんが動いているように感じる。やっぱり本人に会うと、感じ方にも奥行きができてひと粒で何度も美味しい代物になるなあ。

 

一番楽しかったのは雑貨のブース。利益を考えずに好き勝手に作るものだからこそ、創作主のセンスが光る。ブースごとに全然色が違っていて、冷やかすだけでも目にも楽しく最高だった。まあ見たら買っちゃうんですけども。クリニックを模した雑貨を販売していたサークルの巾着袋を買えなかったのは残念だったなあ…。

 

面白かったのは音楽ブース。

『架空のゲームの架空のBGMを作る』というコンセプトのサークルの音楽を買ってしまった。『ボルシチのない夜』というワードのセンスが良すぎる。それが戦争ゲームなのも最高。

 

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これが戦利品。今改めて見ても、あんなにサークルがあった中でこれらを買った私のセンス最高だと思う。いい買い物をした。

 

 

実際に自分で足を運んでみて、やっぱりコミックマーケットはすごい場所だとわかった。ビジネスなんて考えてない、自分が作りたかったから作ったが何の含みもなく成立する場所。だからこそ、ひとつひとつの作品に宿る熱量がすごい。作者の愛が感じられたり、遊び心に溢れていたり。統一感も何もあったものじゃないけれど、あれだけの人がいて、それぞれがすごく好きなものを持っていて、まさに『人間』ってかんじ。混沌としているけど、それもまた一興。

トイレットペーパーと風景の写真とか、制服を着た男と風景とか、みんなどこか頭のネジが飛んでいるのが面白すぎる。

 

ここにいったあとに商業ブースにも足を伸ばしたけれど、整然としすぎていて興奮しなかった。理性を失わせる熱量が足りない。

 

コミケそのものとはズレるんだけど、参戦して思ったのは『女のオタクは小綺麗だけど男のオタクは小汚い』ということ。こころに同じような熱を持っているはずなのに、見た目は驚くほど違う。

汗でへばりついた髪とか、シワの着いた洋服、整えられていない眉毛。身だしなみとは何だったのかと思うほど。

一年に二度だけある馬鹿になるための日だから、見た目なんて気にしなくていいという意見もあると思うけれど、同じ条件下にあるはずなのに女は比較的人間の格好をしているのが目に見えてわかった。

男よりも女の方が容姿に評価の比重が多く置かれるのは知っていたけれど、普段の意識からこうも違うとは。またひとつ、女の生きづらさが表面化したのを見たようで微妙な気持ちになってしまった。

 

閑話休題

 

コミケ帰りに百貨店やスーパーに寄って食料を調達。満を持して、大晦日のパーティが始まった。

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ちょっと買いすぎたかなーとか言っていたのにしっかりばっちり全部食べてしまった。

友達とダラダラ話しながら紅白をみる大晦日。今までにない年末で、すごく新鮮な気分だった。

途中でゆうこが体調不良で死んだり、みんなバラバラに携帯見てたり、いつも通り協調性のないパーティだったけど、それこそが私たちってかんじ。紅白のカオスさに苦言を呈したりしたっけな。ふわふわ時間を揺蕩っているうちに紅白は幕を閉じて、いよいよ2019年の終わり。

 

ジャニーズのカウントダウンを見ながら、みんなで年越しジャンプ。わいわい言いながら迎えた2020年でした。

そのまま語り明かして、元旦はお昼まで寝ていたので本当に寝正月だった。でもゆうこと価値観とか人生観について話し合えたのは面白かったな。

 

 

初めて家族以外と過ごした年末年始だったけれど、未だに年明けを迎えた感じがしないのは、やっぱり積み重ねた習慣で季節に区切りをつけているからなんだろうな。私のお正月を素因数分解すると、実家、家族、餅つき、こたつ、紅白…こんなところだろう。

でも、全然違う年明けを迎えたのも、これはこれで捨てがたい素敵な時間だった。何よりも自分が友達に恵まれていると再確認出来た年明けだった。何をしていても話しているだけで楽しいし、何をするにも相手の反応を伺う必要も無い。こういう人間関係をずっと大切にしていきたい。

 

いつもと違う始まりを迎えた2020年。今年の私はどうなっていくのだろう。今までで一番年の瀬の自分を想像出来ないけれど、どこで何をしていても私は私。きっと愉快に素敵にいきようともがいているのでしょうね。

ラブアンドピース。楽しい一年になりますように。

 

今年もよろしくね、私。

 

 

惚気

 

自分が原因で楽しめてないのに、マイナスなことばっかり言ってたら多分それを相手のせいにしちゃいそうだ。

友達にも恥ずかしくて惚気は言えてないので、私が良いなと思ったところを忘れないように言語化しておこう。

 

・自分のコンプレックスについて、実際にデートをする前に伝えてくる誠実さ

・友達と家族の話を楽しそうにするところ

・ちゃんと「いただきます」を言ってくれるところ

・私が好きだといったもの(動画とかアニメとか)を見ようとしてくれるところ

・漫画の趣味が結構似てるところ

・スタバの店員にはなれないと思っているとか感性が似てるところ

・洋画を一緒に楽しめるところ

・人の悪口を言わないところ

・私の意見を尊重してくれるところ(卒業近いから友達と遊ぶ方を大切にしてほしいとか)

・会話を覚えていてクリスマスプレゼントにブックカバーを選んでくれたところ

 

めっちゃいいやつやん。自分本位の考えで傷つけないためにも今度もちゃんと更新していこう。