ハジケ。

体に栄養を、心に刺激を。

品性ってなにさ

なんだかふと文章を書きたくなって、いろいろと書き散らしてみたんだけれど、どうやら自分の頭を整理したいらしいと思い至って久方ぶりにこのページを開いた。

 

夜の街を歩くのは好きだ。少しずつ機能を停止していく街の中で、きだる気にふらふらと歩く。片耳にはイヤホンをして、一つの耳で行き交う車の音なんかの音を聞く。夜は、何をしても、しなくてもいい空気感が心地よい。昼間は何かをしなくては、残さなくてはならないような焦りに駆られて、そんな風に命を動かすのも悪くないのだけれど、自分みたいな人間には少し疲れてしまう時もある。夜はそんな私を救ってくれる。ベッドに横たわって、一秒か数時間かもわからない時間を揺蕩うのもいい。ぼんやりとラジオを聞き流すのもたのしい。だけど今日は、風を浴びたくなった。

 

ひと駅前から降りて、だらだらと歩いた。とりとめもない思考で頭を埋め尽くしてみたりする。

ずっと頭のどこかに引っかかっている言葉がある。誰だったか、言っていた人を覚えていないけれど、

「何を話すかには教養が必要だ。何を話さないかには品性が必要だ。」

こんな感じだった気がする。これがほんとうに耳に痛くて、思わず私のためのことばなんじゃないかと思ってしまったくらいだ。

これで言うと、私は教養はある方だと思う。人並程度には。

だけど、品性はもう、ほんとうに最悪だ。言わなくていいことを、言うべきではないかもと頭の片隅で思いながら、それでも何となく言いたくなってしまって、一度呑み下したはずのことばをえずきながら取り出してしまうことがある。

一度口を開いてしまうと、脳と口が直結してしまう。考える余地をはさまないまま、ぽんぽん言葉が飛び出して行って、向こうへ行ってしまった後にその言葉を確認して、嗚呼言うべきではなかったと馬鹿みたいに考えることがままある。これはほんとうにどうにかしなくては。

 

それと少し似ているのだけれど、身につけたいと思うことが少しばかりある。

・わきまえるひとになりたい

・不快にさせず断れるようになりたい

簡単に言ってしまうとこの2つ。

 

まず、”わきまえる”とは身の程を、というよりはTPOを、という意味合いだ。その場その場に応じてベストな仕草、雰囲気、話し方ができるようになりたい。自分の姿を客観的に俯瞰して思うのだけれど、声がでかい。あと笑い声がちょっと下品。それでいい場面もあるのだけれど、もう少し空気に馴染めないものだろうか。

空気を読めるようになりたいわけでも、空気を作れるようになりたいわけでもない。そんなのは自分の本音を度外視した演技に過ぎないと思うからだ。私がしたいのは、スイッチの切り替え。自分の持っているモードを、その場に適したものに適宜切り替える。そうして空気に馴染み、自由に揺蕩えるようになる。それが私の考える”わきまえるひと”。そんなふうになれたら、私の思う大人に一歩近づけるかなあ、なんて思う。

 

まあ、2つ目はそのまんま。ちょっとNOと言えない日本人過ぎるかなあ、ってたまに自分でも呆れてしまう。最近は自分でも気を付けているのだけれど、「バイト入れませんか」って急にお願いされたら、「すみませんが入れません」って言ってしまうのをやめたい。どう考えても私に落ち度はないし、「すみません」「申し訳ありません」ってそんなに軽々しく使っていたら自分の価値を自分で下げてしまうような気がする。

「すみません」の代わりになるようなクッション言葉があればいいのだけれど。どうしたら相手を不快にさせずに断れるようになるのだろう。もっというと、断ってしまったという自分のもやもやした気持ちもなくなるような断り文句を考えられればもっといいよなあ。

 

こういう少しの気づきが、品性ってものにつながっていけばいいのに。とりあえず私は何も考えずに言葉を使うのをやめた方がいい。迷ったら、言わない。特に、人のプライバシーにかかわったり、自分一人で完結するような話でない場合は気をつけなければ。信用を失うのは一瞬なんだから。口は禍の元。

 

なんてことを、久しぶりにじっくり考えた。やっぱり夜の散歩はいいなあ。頭が透明になる。